木造500t積み・戦時標準船 松 鷹 丸 昭和20年代前半
後ろに有名な(今も現存している)木造5階屋が見えますね、正しく旧木江町である証拠です。
隣りの造船所でも2隻の新造、かなり活況を呈しています。
これがかの戦時標準船。以前の芳栄丸(No.158)と比べて一目瞭然、
「外見からして目立たない船体色(黒色)」が目に付きます。(機帆船は普通白色です)
以前紹介した統制令により、木江町にてこのような同型船を大量生産しました。
この写真は間違いなく戦後(直後?)ですが何故、新造が標準船なのですかね?
戦中の計画をそのまま通したのでしょうか?
その辺がちょっと分かりません。(そもそも事情が分かる先代がもう居ないので…)
今で言うデリック・クレーン付フォアマストが格好良いですね。
私自身、出来得るならば実物を肉眼で見たかったです…。
(乗船して艙内を歩き回って、各部写真撮影しまくって〜という感じですか(笑))
トラックが普及する前はこの様な機帆船が何百隻と瀬戸内を駆け回り日本経済、強いては
高度経済成長期の一翼を担いました。
皆さんにその雄姿を知って頂ければ幸いです。